「西の原爆ドーム 東の変電所」。そう枕ことばがつく戦災遺跡が、桜街道(さくらかいどう)駅から歩いて5分ほどの東京都立東大和南公園(東大和市)内にある。
弾痕が生々しく残る旧日立航空機変電所。戦闘機のエンジンを製造する軍需工場にあった。1945年の2月と4月に計3回、大きな空襲を受け、工場の従業員や周辺住民ら111人が命を落とした。窓枠や扉などは爆風で吹き飛び、壁に機銃掃射や爆弾の破片による穴が開いたが、建物本体は奇跡的に残った。
市内に住む藤田保次さん(91)は工員としてエンジンを組み立てていた。徹夜や半夜の作業が続いたが、2月16日夕、久々に定時で帰宅した。翌朝、警報を耳にして家の外に飛び出すと、戦闘機が北の多摩湖の方から工場のある南へと飛んでいくのが見えた。
自転車で急行すると、工場の鉄骨の柱はあめのように曲がり、屋根は吹き飛んでいた。高等小学校の同級生を始め、多くの同僚が死んだ。「仲間が亡くなり、私だけ生き残ったのがね。なんちゅうかね……」。あの夜、徹夜にならなかったのは、運が良かったのか偶然なのか。戦後、変電所を見に行ったことはないという。(大室一也)